あらゆる悩みを消す方法が仏教にはある

はじめに

 こんにちは。

 コロナウィルスも収まらないまま、熊本の大雨による災害が発生したりと、不安が重なるようになってきた。不安が多い時期には宗教が人の心の支えになることがある。私自身は無宗教だが、宗教自体にとても興味があり、本もいくつか読んでいる。今回はその中の、人々の悩みを消すためのブッダの考え方を実践する方法について書かれた本『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」(草薙龍瞬)』の内容をまとめて行く。特に、不安やストレスなどの悩みに対して、どう向き合えば良いかについてまとめていく。

 

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

そもそも、悩みはどう生じるのか?

 人には、生きている限り、タンハー(tanha)と呼ばれる、喜びを求める心がある。このタンハーにより私たちは次の7つの欲を持つ。

  • 生存欲 
  • 睡眠欲 
  • 食欲 
  • 性欲 
  • 怠惰欲(ラクをしたい)
  • 感楽欲(音やビジュアルなど感覚の快楽を味わいたい)
  • 承認欲(認められたい)

 これらの欲が満たされた時に快(喜び)を得ることができるが、逆に、欲が満たされないときに不快になり、悩みが生じる。では、欲をなくすか、欲を全て達成することで悩みを解決できるのではないか、と考える人がいるかもしれないが、仏教の解決策は全く異なる。そもそも、タンハーは生きている間ずっと私たちの中にあり、欲を生み出し続けるし、全ての欲を達成するなど現実的ではない。では、どのように仏教では悩みを解決していくのだろうか。

 

悩みの解決方法は「反応」にあり

 仏教では悩みを消すために、欲と欲に対する結果(快や不快)の間に、「反応」という段階を設けている。この反応を変えることで、不快を減らし、悩みを消すのだ。

 日常的に私たちは様々な欲求にかられたり、誰かと競い合って落ち込んだり勝ち誇ったり、承認されようと躍起になったりする。そういったものは全て、私たち自身の欲に対する反応に他ならならない。そして、その反応によって悩みが生じる。

 仏教では、そういった無駄な反応を無くし悩みを消すためには、自分の心の状態をきちんと見ることが必要だとしている。心の状態をきちんと見れれば、冷静にその心(悩み)を見ることができる。その結果、その悩みにそれ以上悩まなくなる。少し宗教くさく感じるかもしれないが、実践してみてほしい。神も何も信じる必要はない。自分は何に悩んでいるのか、何にどう反応しているのかを分析をしてみてほしい。悩みによって視野が狭まってる状態から出ることができれば、きっと悩みが軽くなることが感じられるだろう。

 

無駄な反応をなくすために心を見る具体的な方法

(1)言葉で確認する

 自分の心の状態について、「イライラしている」、「心がざわついている」、「頭が疲れている」のように、客観的に確認する。心の状態をあるがままに捉える。また、「自分は今、掃除をしている」と自身の行動についても客観的に言葉にする。自身のありのままを客観的に言葉にして確認することで無駄に反応してしまう事を抑えられるようになる。

 

(2)カラダの感覚を意識する

 自身の体の五感で感じ取れる事を意識する。例えば、何気ない呼吸では口や鼻から息の出て行く感覚、お腹の膨らみなどです。(1)と(2)は仏教ではサティ(sati)と呼ばれ、マインドフルネスとして広まっているものです。

 

(3)分類する

 自分の心を分類する。基本的には以下の3つに分類。

  • 貪欲: 欲が大きい事。求めすぎている事。
  • 怒り: 欲が満たされないことに対して不快、不満を感じていること。
  • 妄想: ぼんやりと思い浮かぶこと。これがダントツで多い。
    妄想は、体の感覚に集中することで抑えられる。

 分類することで、自身の心を客観的に見やすくなる。

 

以上の3つの方法で、無駄な反応を無くし、結果的に悩みをなくすのである。


反応をなくすことは、人として大丈夫なのか?

 読者の中には、何に対しても反応がない人に対して、人間味がないようと思う人がいるのではないか?確かに、無駄な反応をなくす話ばかりを聞いていると、悩みが減るかもしれないが、人としての温かみがなくなる気がしてくる。しかし、ブッダは世界と向き合う心構えに、以下の4つをあげている。

  • 慈: 相手の幸せを願う心
  • 悲: 相手の苦しみや悲しみに共感する心
  • 喜: 相手の喜びや楽しさに共感する心
  • 捨: 手放す心、反応しない心

 つまり、反応しない心は世界と向き合う心の内の1つでしかなく、他の3つの心は相手がいる事を前提としている。捨については上で述べたので、ここからは、反応しない心のまま、他の心も持つ方法について簡単に述べる。

 慈: 何かを相手に教えるときは、真実で相手にとって価値のある事を伝えるべき時に伝える。ただ、相手のためになる事に絞ることが難しい。自分に都合の良い方向に相手を操作することや、自身の正しさを認めさせようとすることは、承認欲求に反応した結果である。そのため、真実で、相手にとって価値のあることである必要がある。

 悲と喜: 相手の気持ちのただ理解する。しかし、怒りの気持ちを向けられた時に、怒りを返すなどの無駄な反応をしてはいけない。自身の心を前半分と後ろ半分に分け、前半分を相手の理解に向けつつ、後ろ半分を自分の心に向け、無駄な反応をしないようにする。

 

おわりに

 今回は、自身の悩みの消し方から始め、悩みを抑えつつ他者と関わる心構えについてまとめたが、いかがだっただろうか。私自身、欲は少ない方と思っているが、人気なものに惹かれる人や、常識に振り回される人を見て、自分も多数側に合わせないといけないかな?と不安になることがあった。しかしこの本を読み、自身が無駄な反応をしていることがわかった。この本は、自分を肯定できていない多くの人に人に読んでもらいたい。

 仏教は人生にとって大切な「考え方」を追求した哲学の要素が強い。そのため、仏教の考え方の結びつきを全て紹介することができなかった。この本には他にも目標を達成するために役に立つ八正道の考え方や、人生の5つの妨げなど、今回紹介しきれなかった実践的な考え方が載っているので、興味のある方は是非手にとっていただきたい。

ではでは。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」